株式会社ローリン

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2019.12.28

ビジネス

昔の後輩の相談に乗って、10年後を考える

こんにちは。代表の佐藤です。

よくある話ですが、僕は14歳で初めてギター(紺色のヤマハSGモデルの安いやつ。)を買ってバンドをはじめ、その後ベース(ブランキーのベーシストが使ってたギブソン・レスポールベース買いました。カッコよかったなあ。)に持ち替えて担当し、いくつかのバンドを経てそれに飽きてDJをはじめて、HIP HOPグループのDJとトラックメイカー(ラップの後ろでかかってる曲をつくるひと)として音楽活動してました。

これ、自分で書いててほんとになんていうのか「ああ、いるよねそういう人」という典型だなーと改めて思いました。浅はかで軽薄で、こういったところにも僕の凡庸性が出てるなあと笑。ちなみにウチの会社のロゴのモチーフはターンテーブルです。

で、最後の方にやってたHIP HOPグループは総勢8人くらいいたんですが、そのうちの一人から数年ぶりに連絡があったんです。

ずっとFBは見てくれてたみたいで「ちょっとお話聞きたいです」と。近くのカフェで30〜40分くらい話を聞いてきました。

そして、多分こういう悩みって多少なりとも色んな人が持ってるよな、自分だってそこに危機感は感じてるもんな、って思ったので、これまでおそらく何度か書いてることではあるけれど、年末のすこしゆったりしたこの時間に改めて文章にしてみます。

フリーでやってるけど仕事が減ってきた

以前一緒に音楽やってた頃は、僕が23〜4歳くらい、彼は19〜20歳くらいだったように思います。

それから20年近く経過して、お互いいろんなことをそれぞれの場所で経験してきました。

僕は25歳でフリーターをやめて就職し、そこから13年間泥臭い紙媒体のデザイナーとして毎日毎日ゴミになるような広告を深夜まで作り続けてきて、次第に管理職の色が強まってきた段階でWebの勉強。外の世界を知ることで社長との反りが合わなくなってきて、38歳のときに離脱して独立、会社をつくって今に至ります。

彼の経歴はあまり知らないけれど、僕が音楽から離れてからも活動を続けていて、何度か彼の出ているPVがSNSで流れてきたのを覚えています。「まだやってんだなーすごいなー」って思ってました。そんな彼もおそらく現在37〜8歳で、ここ数年はフリーランスのクリエイターとして活動してきて、仕事に打ち込んできたようです。

そんなふたりが20年近い時を経て会うというのも、SNSのおかげだよねえと感慨深いものがありました。

閑話休題。

で、彼はおそらく音楽活動からの延長と、そこから派生するコネクションで仕事を得ていたようなのですが、どうも最近は状況が変わってきたようなのです。

というのも、以前はいろんな仕事をアーティストから直接、もしくは所属するレーベル経由で受託していたと思うのですが、それが減ってきていると。

じゃあ、ということで一般企業に提案して仕事を取りに行ったそうなんですけど、今までの実績が音楽関係だったこともあって、なかなかうまくいかないようでした。

環境は気づかないうちに、しかし確実に変わっていく

この話を聞いて、改めて思い直したのは

いま自分を取り巻いている環境は、気づかないうちに、でも確実に変わっていく

ということ。

彼の場合は、端的に言えば、おそらく自分が年齢を重ねることによって仕事が減ってきたということだと思います。それは年齢を重ねて技術やセンスが遅れを取ったということではなく。

分解していくと、

  • 自分が年齢を重ねる、ということは周囲も等しく年齢を重ねる
  • 音楽活動をしているひとは年齢を重ねるたびに徐々に離脱していく
  • そこにはまた新しいプレイヤーが参入してくるが、当然彼らは彼らのコミュニティで活動する
  • 気がついたらその音楽シーン自体は存在するものの、プレイヤーが入れ替わっている

これがジワリとグラデーション的に進行するんですよね。

この経過によって彼と一緒に活動をしていた仲間が少しずつ減り、仕事も減っていったのではないかと考えます。

もちろんそういったクリエイティブにお金を払えるようなレベルで活躍しているミュージシャンが仲間内にいれば、ある程度は仕事の量を維持できたでしょう。ただし音楽の世界は本当に水物で、以前紅白に出たようなグループが今は趣味の一環としてしか活動できないということは、同時代に活動していた僕の知人においても実際にあることです。

これと似たようなことは、僕らの世界でも往々にして起こり得ることだと思います。

僕がよく思うのが、代理店さんとお付き合いしているときのことです。

ウチはそこそこ資本のある広告代理店と取引させてもらっているのですが、僕に声をかけてくださる方は仕事をたくさん持っている、所謂やり手営業マンです。

ただし、やり手であるだけに、当然出世も早いわけです。僕より少し年下なので多少の猶予はあると考えていますが、いずれ部長クラスに昇進されるでしょう。

そうなった場合に、その方は「現場の人」ではなくなるわけです。「現場のことは若い奴らに任せます」ってなります。

この社内の動きは僕が気づかないうちに、でも確実に進行していく。

仮に僕がいい仕事をしたとして、その方の営業成績を向上させる一翼を担えたとしたら、それは回り回って僕の首を締める遠因にもなり得るわけですね。

彼が現場を離れるときに、部下に「佐藤さんとこ使ってあげて」って言ったとしても、若いひとは若い人同士で仕事を回します。僕だってそうしてきたし、みんなそうです。

これって飲食店でも同じだと思っていて、年齢とともに味や雰囲気などの嗜好が変わっていくので、お客さんってジワリと卒業していくと思うんですよね。別にネガティブな感情があるわけでもなく、他のお店に行く頻度が増えていく。

地方で小さい商売をやっている僕らは、こういったことを頭に入れて仕事をしていかないと、知らない間に「ゆでガエル」になっちゃうと考えています。

「ゆでガエル」にならないために

これはすごく難しい問題です。

ごく一部、ゆでガエルになんてならない人がいます。ある分野で突出した実力を持ち、天才レベルで仕事ができるひとです。

僕の知人にもこういった人は数人いますが、だいたい「将来のことはわからんからあんまり考えない」って言います。

彼らはその分野自体がオワコンにならない限り仕事が向こうからやってくるひとたちなので、あんまり参考になりません。

一方で、地方の零細企業をなんとかギリギリ経営している、小物経営者の僕が心がけていることは

  • ひとつの技術や知識に依存しない
  • ひとつのクライアントに依存しない
  • ひとつの業界に依存しない
  • ひとつの事業に依存しない
  • ひとつのコミュニティに依存しない

ということでしょうか。

僕は会社を作ってから、請求書を送る枚数はだいたい毎月10〜20枚ですし、その送り先も割とどんどん変わっています。クライアントごとの売上を維持できていないとも言えますが、地方で受託制作を主業にしていたら、同じクライアントに毎月請求することってそれほど多くはないですよね。

もちろん携わった数年後に「またこういうこと考えてるんだけど」とお声がけをいただくこともあるので、そこは割とゆったりと考えています。

それより気をつけてきたのが、受託制作だけで規模を拡大しないこと。ここは技術の進歩や流行についていけないと、あっという間に色んなものが負債となると考えているんです。

「だからお前の会社は大きくならないんだよ」

というご意見は、僕が一番、僕に言ってます。心の中で。

でもね、やはり全員ひとしく年齢を重ねるわけで、特定の技術に特化したひとの10年後を考えるのは、僕には荷が重いんですよね。だから受託制作を主業にして規模をどんどん拡大している会社のこと、ほんとにすごいなーって指くわえてます。

そしてそれを踏まえていつも考えるのが、この受託制作で培った技術や知識を、他の事業にずらして活かせないかということです。

以前から、Webに携わっていてサイトをつくるのは全然問題ない。SNSやSEOも大枠で理解しているし、スペシャリストが周りにいる。紙やOOHなどの経験もあるし、期待する効果を踏まえて提案したことも多数。今までにつくってきたコネクションも無くはない。

こういったものを活かして、いまやってるNZワインのサイトや、以前から運営しているアフィリエイトサイト、さらには地味に少しずつ売上があるECサイトに手を出しているわけです。

これらによって、例え明日受託制作の仕事がゼロになったとしても事業として即死は免れますし、とりあえず他のことを何かしようと思ったときに動かせるお金も、多少はできました。カレー屋やりたいです。

あとそういった事業で得た知識を、受託でご依頼いただいているクライアントに還元できることも大きいと考えています。

仮に本当にカレー屋をやったとします。実際にはまだアイデアの「ア」の段階ですけど。

飲食店経営をしていて、Webメディアも運営してて、ECもやってて、制作できる会社ってそんなに無いですよね。そしたら、飲食業界に営業かければどうなるかなって考えますよね。僕、営業活動苦手じゃないし。

なんか、そういうことかなって考えています。

ホントは地方で事業主として行きていくなら、大切なのは「選択と集中」です。それはイギリス人の航空工学の研究者であるF.W.ランチェスターさんが散々教えてくれてます。

僕らは局地戦で戦うしかないんです。本来は。

でも、特定のフィールドでの闘いに一点集中するのって怖くないですか?エクイティファイナンスできるような事業なんてやってないわけですから、お金がなくなったら即死です。だから「とりあえず会社が生きていける」基盤づくりをする必要があるわけで。

地方で事業主で、10年後も生きていくためには、まずはやっぱりなんでもできる人になることが近道かなと思います。

森野さんもそう言ってるし。

とにかく地方でやっていくには「なんでもできる」ことが求められます。私はこんなことをやってました。

> 地方(名古屋)在住フリーランスがアクセス解析を仕事にそれなりに食べてきたつもり

その中で何かを探して、見つけて、研いでいく。そしてどれかひとつが当たったら、超ラッキー。

これを、当たるまでやり続ける覚悟があれば、なんとか生きていけるんじゃないかと思います。

この文章は、相談してくれた後輩に向けて送ります。

お互い頑張ろう。

著者情報

佐藤崇史
佐藤崇史代表取締役
Webの色々を中心に、様々なモノ・コトを使ってお客様のビジネスををサポートしています。特に地方で頑張る中小企業の業績を一緒になって伸ばしていくのに生きがいを感じます。自社Webメディア複数運営。最近はゲーム配信も少々。

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